影丸穣也氏の「ボクの1971」

「空手バカ一代」の作画、影丸穣也氏が死去というニュースを見て、もう一ヶ月前に亡くなられているのを知った。

自分にとっての影丸穣也といえば、空手バカ一代であり、中学時代に読んで燃えたものである。あの頃の男子中学生にとってのマストだったと思う。
「コミック1971 VOL.2*1」には、作者が1968年に週刊少年マガジンに描き始めた頃からのエピソードをまとめた「ボクの1971 昭和46年」という作品が掲載されているのだが、それを読むと(おそらく)一般に知られているよりも大きな功績を残されているのがわかる。

  • 日本の漫画で初めてのグラビア印刷をした”白鯨”(なんと構成は梶原一騎、この時は一面識もなかったらしい)
  • このコミカライズをきっかけにNHKがドラマ化をし、やがて角川によるブームをまきおこした”八つ墓村
  • 先頃亡くなった「豪放磊落ながら気持ちのやさしい繊細な人物」真樹日佐夫とのコンビで長期間続いた”ワル”

他にも、3億円強奪事件の際は、(若いアシスタント数人が昼夜を問わず出入りしているという事で)怪しまれ刑事が訪ねてきた、とかのエピソードもあってなかなか興味深いのだが、空手バカ一代についても、熱のこもった背景の上に「まさかバトンタッチして描く事になるとは思わなかったが、この作品によって多くの若者が空手道を進んで今につながっている事はボク的には本当にうれしい限りである」と書かれている。やはり、作者の思い入れもあって、あの作品は我々ボンクラ中学生を強く捉えたんだろうと思う。熱かったんですよ、とにかく。
時を21世紀にうつすと、作者が内輪向けに遊びで描かれたドラクエのイラストを拝見する機会があって、通常と全く違うタッチ、素人目には鳥山明なタッチで描かれたモンスターに驚愕したりもした。さすが、これだけの長期間にわたって前線に立ち続けるプロは違う、基礎があったうえでの強烈な個性だなあ、と。

前述の作品の最後には、以下のような文が書かれている。

現在−(二十一世紀)
原作者 梶原一騎
モデルの大山倍達総裁
同じくケンカ十段 芦原英幸
空手バカ一代”で活躍をされた偉大な三人がすでに物故されており本当にさびしい気持ちである

そして、続けて作者の似顔絵に以下のふきだしがある。

しぶとく生き残っているのはボクだけか
この分だと八〇〜九〇まで生きるかも...
なんちゃって!

来年は漫(劇)画道55年目だった作者のご冥福をお祈りします。


*1:週刊アサヒ芸能1月24日号増刊,徳間書店,2003年1月24日発行