1976年 F1世界選手権inジャパンのP34

異色のシャーシNo.P34

パトリック・デパイユが1976年の日本GPでドライブしたティレル P34は、F1GPの歴史の中でも異色の6輪車です。ある程度以上の年齢の人間で、この車の存在を知らない人間はいないと言って良いかと思います。実際、1980年代後半以降のフジテレビのF1中継で日本人ドライバが乗るマシンが大きく取り上げられるまでは、F1マシンと言えばこの「タイレルP34(当時はタイレルと呼ぶのが一般的でした)」を思い浮かべる人が多かったはずです。

このパッと見は不思議なデザインは、実は合理的な考察の末に編み出されたモノです。

デザイナーであるデレック・ガードナーは、空気抵抗の減少を狙い、フロントに小径タイヤを履き、それをスポーツカーノーズの陰に収めるレイアウトを考案。タイヤ接地面積の減少は、フロントタイヤを4輪とすることで補った。このアイデアには当初ケン・ティレルも当惑し、シャーシ名を「00×」ではなく別プロジェクト「P34」として開発を許した。

ティレル・P34 - Wikipedia

実際に、このマシン以降に幾つかの有力チームが6輪構成を検討し、プロトタイプの作成もおこなっています。(あのフェラーリまでも!)

パトリック・デパイユと日本GP

この特徴的なマシンの開発に大きく貢献したと言われるのが、パトリック・デパイユです。彼はP34の最初の実戦導入時のドライバもつとめ、1977年の最後、P34の最終戦まで乗り続けています。
開発能力を買われ、実際に所属したチームにも貢献した職人肌のドライバでしたが、P34時代には優勝することはできませんでした。(初優勝は1978年です)

そのパトリック・デパイユが一時はトップに立って優勝に近づいたレースが、1976年の日本GPです。当時、私の田舎の方ではテレビ放映とか無かったんですが、後で雑誌の記事とかで劇的な結果を聞いて、思いをはせたものです。今ではYoutubeでダイジェストを見ることができますが、生で見てたら堪らなかったでしょうね。(ちなみにゴールシーンは僅差に見えますが実際は周回遅れだったようですね)

彼はわずか35歳で事故により亡くなっていますが、日本では戦績以上にその名が記憶に残っているドライバです。

そんなP34のミニカー

手持ちのデジカメが、随分と古くなった(7,8年前のモデルです)ので、新しくRICOH デジタルカメラ CX4を買ったんです。そんなわけで、手持ちの1/43ミニカーから、P34を撮影してみました。

まずは全景で、サイズ比較のためにペンを手前に置いています。

斜め前から。前輪のレインタイヤが良い感じです。

私が好きなのはこの角度です。前輪が小さいおかげで、くさび形のフォルムが実に格好良いです。

コクピットだってこのとおり。

左横から見ると「どぱいえ」のマーキングがいかにも「日本GP」です。

どうでしょうか?ミニカーの撮影は初めてですが、なかなか難しいですね。そもそもの照明の使い方とか、接写でのピント合わせとかetc. もう少し腕を上げてから、この魅力的なP34を再度撮影し直したいです。