国語が出来ない

うちの子は国語が出来ない。特に物語文が致命的。

一般的に、小学生の場合は男子の方が国語に弱い傾向があるらしいんだけど、うちの場合は極端で、算数との偏差値の差が20近い事があるくらいなんです。いくらなんでもまずいだろう、ということでちょっと様子を見てみて思った事のメモを残しておきます。

3つの問題点

色々と見てみたところ、主な問題点は以下の3つではないかと思われた。

  1. 風景、天気、時間帯、行動などを「気持ち」と結びつけるのが苦手
  2. (ちょっと)大人の感情についての経験がない
  3. 自分自身の身近な常識で対応しようとする
現象と気持ちの関係

これは例えば、「曇り空」で「沈んだ気持ち」や「不安な気持ち」を暗示する、とかそういうやつ。
こういうのは持って生まれた感性なのか、育て方の途中で何かを教え損なったのかわからないけど、何で空が曇りだと気分が沈みこまなければならないのか意味不明、という事らしい。夏の暑い日とかむしろ嬉しいじゃん、と言われると返す言葉なし。まあ、そうなんだけどね。
実際のところを考えてみれば、何でこのようなルールというか感覚を覚えたのか不思議だ。小学校とかで習うんだっけか? 親子で悩んでしまうが、少なくとも、誰もが「自然」に身に着くものでは無い事ははっきりした。

大人の感情

典型的には「ほのかな恋心」のような話ですかね。
まあ、これはしょうがないよね。小学校高学年の段階(いやあ、この先もずうっとかな)で女子の方がこの手の話に強いのは、経験的にも納得。まあ、男子の方がガキですよね。
うちの子ではないけど、模試などでは色々と面白解答があるらしくて、例えばこんなのが。
「普段からちょっと良い雰囲気の幼馴染。これまでは、はっきりとは意識する事も無かったのだが、ある事件を機にお互いを意識したりする。そんな時に、体育の授業で怪我をした男の子に女の子が心配して世話を焼こうとすると、男の子は顔を赤らめて背中を向けてしまう。」
この時の男の子の気持ちは?という設問に答えて曰く。
「ムカついている」
いやいや、さすが小学生男子。

身近な常識 != 世間の常識

これは2番目の話と似ている部分もあるのだけれど、より大きな視点で人の気持ちを推察する、というか、世間的、道徳的な常識で考える力というか、そういう点。
これまたびっくり解答の例を出してみる。
「電車の中での出来事。ちょっと体の不自由な子が乗っていて、足下とかもおぼつかない感じなのだけど、周りに助けを求めるわけではなく、おそらくは自分の力で外出し用事を済ませようとしている途中なのだろう。そこで電車が揺れる。その子も大きく体制を崩すが持ちこたえる。後ろにいた女子高生が、一瞬手を出して支えようとしたが、持ち直したところを見て手を引っ込める。その後、その女子高生は手助けをするわけではないが、じっとその子を見つめ見守っている。」
この時、女子高生が考えていた事は?という設問に答えて曰く。
「写メ撮ろうかと思ってる」
短絡的と言うべきなのか。主題というかテーマに沿って、「常識」「道徳」あるいはこれまでの事実の積み重ね、を元にして推論すべきなんだけど、まず自分の思った事とか身近な行動が浮かんでしまい、それに引きずられてしまう。そんな感じ。
ちなみに、うちの子は友達づきあいは普通にやってる。塾のない日は児童館に行って、年齢関係なく遊んでいるようだ。評判では、良く気がつく優しい子(笑)らしいので、リアルな生活の中で人の気持ちがわからない子では無いと思う。

問題への対策と現状

これらの問題をまとめると、「常識(=お約束)のストックが無い」と言う事になるだろうか。国語(物語文)は自分の感情を書くものではなく、あくまで常識と問題文に記述してある範囲からの推察可能な事を書くものだ。そのための材料が足りないという事だ。
実際のところ、問題文の中の記述で閉じる「説明文」とかは、ちゃんと点数をとれたりするので、親としては「これならば、お約束を身につければいけるんじゃないの?」とか思ってしまう。問題点が整理されたのだから、後はそれを潰していけば良いではないかと。

とまあそういう訳で、塾の教材を中心に、家庭での補習を2カ月ほど行ったのだけど、なかなか効果が出ないんですよねえ。算数ではそれなりに上手くいったんです。ポイントとなる基本を練習する事で、図形問題とかでも「あっ、この辺が同じ」とか「ここの三角形が」とかが、割と簡単に見つけられるようになったんですよ。基本を押さえたら「わかる」ようになったんですね。

まあ、まだまだ先があるんで決めつけは禁物ですが、ストックを単純に積み増しただけでもダメということなんでしょうかね。何というか、国語脳ができてないというか。「解き方のお約束」を教えてみたけど、どうしても使いこなせない。基礎部分がたりないと、いくら道具を与えても使えないという事なのかも知れません。この部分をどうやったら構築できるのか、現時点ではまったく不明です。(いやあ、読書しろとかは王道だと思うんだけど、これがまた別の問題があって別に書くかも。) 算数の出来と比べると、つくづく向き不向きというものを考えざるをえないです。

ちょっと達観

こんな事を言うのは何だけど、最近は諦めて(塾に完全に任せて)おり、子供が国語がダメだああと落ち込んでいたら、とにかく算数でなんとか挽回しろ、という感じで励まして(?)います。
上で「まったく不明」と書いたけど、要は個々の精神的な部分での成長度の問題ではないかと思っています。そんなに器用な子ではないものの、色んな経験を積み重ね、年頃になっていけば、上であげたような問題には一定の解が得られるのではないかと、自分に照らし合わせて思うわけです。
そういう意味で、「中学受験は早熟度を競い合うもの」という言葉は、それだけではないけど、一理あるなあと思ってしまうこの頃です。