亡き妻を取り戻そうとした人達

何カ所かで見かけた以下のコピペなんですが、元ネタを読みたくなったので調べてみました。
本当の話なのか、本当だとしたら亡くなった奥さんの人形を作らせるのはどんな人なのか? 何となく、パッと見は普通の物静かなたたずまいの人を思い浮かべてしまうんですが、実際のところはどうなんでしょうか?

オーダーメイドラブドールとは持ち込みの写真などをもとにリアルダッチワイフを製作するサービス。
今回は良く持ち込まれる写真ランキングTOP3を紹介する。

第3位 明らかに盗撮の写真
 お断りするそうです。

第2位 自分で描いたエロイラスト
 どっちかっつーと原型師さんの趣味に似ちゃいます。

第1位 亡くなった奥さんの写真
 人生\(^o^)/オワタ

ネットでの情報

時間を遡って探すと、どうも以下の文章あたりが原形ではないかと思われます。

1 水先案名無い人 sage 2005/05/21(土) 15:31:29 ID:2XKXZl3M0
ウチでは写真などを基にしたオーダーメイドのラブドールも扱ってるんですが、
時々モロに盗撮写真とか持ってくる人いますね。断りますけど
あと自分で描いた美少女キャラとか。××が好きだ、××が怖い、肌はもうちょっと濃い、ものすごくこだわるんです(笑
一番多いのは亡くなった奥さんの写真ですね

オーダーメイドのラブドールのガイドライン

その後、2010年の5月には今の形になっています。この間が不明で、新しい元ネタが出てそれが引用されたのか、誰かが元の文章をアレンジしたのか、ネットでははっきりとはわかりませんでした。
ただ、幾つか見つかった情報があるので、それを以下に載せときます。

某処某人06

2002年8月2日が初出らしいページ。(サイトのページ自体は 2008年4月9日)
これはコピペの元ネタではないようだけど、とても魅かれる文章で、まさしく初老の紳士で脳内再生されます。亡くなってまもなく奥さんの若い頃の写真を持ってきたのか、亡くなってずいぶん経ってから残っている写真を持ってきたのか、どちらであっても「もう一度あのころの君に逢いたい」。想いを込めるための憑代として人形を必要とした、その心境にどうしようもなくやられてしまいます。

こんな話もある。同社ではオーダーメイドの製品も作っていて(1体百万円だそうである)、「ちょうど今注文があって作っているのは、これなんですけどね」と言って見せてもらった人形は、某有名タレントそっくりで、思わず「肖像権大丈夫なんか?」といらぬ心配をしてしまったのだが、まあそれはいいとして、ある日、初老の男性が事務所を訪ねてきて、おもむろに言った。
「この顔で人形を作ってほしい」
差し出された一葉の写真は、縁が黄ばんで、色もずいぶん褪せた古いモノクロ写真だった。
亡くなった奥さんなのだそうである。
うーむ!
僕は不思議な感動を覚えてしまった。

wayside 某処某人06 東京・上野
愛のごとく──「人間以上」のものを愛することについて

新しすぎて元ネタにはなりえないGQ JAPANの記事。2012年5月28日〜2012年6月1日にかけて掲載されている。

  1. 愛のごとく──「人間以上」のものを愛することについて【1】
  2. 愛のごとく──「人間以上」のものを愛することについて【2】
  3. 愛のごとく──「人間以上」のものを愛することについて【3】
  4. 愛のごとく──「人間以上」のものを愛することについて【4】
  5. 愛のごとく──「人間以上」のものを愛することについて【5】

造形師へのインタビュー(また立派な経歴だったり)などがあり、なかなか面白いんだけど探していたモノとは違うなあ。

実は、顔のオーダーメイドもやったことがあるんです。そんなに難しくない。女優さんの顔を使って、少し直して作ったこともある。それから、亡くなった奥さんの写真を持って来られて、それを作ってくれといわれて、作ったこともあります。普通は、対象になる女性の承諾をとって、ということになるけど、隠し撮りみたいなものを持って来られたこともある。さすがに、それは断りましたけど。

連載の【2】より引用。

書籍で探す

結局、ネットでは見つからなかったので書籍で探してみることにしました。以下、入手できた順です。

セックスメディア30年史欲望の革命児たち (ちくま新書) , 2011/5/11

この書籍では、オリエント工業へのインタビューが載っているんですが、写真によるオーダーの話は出てきません。インタビュー時期が2010年なので、既発の書籍と比較すると新しい情報も入っているようで、映画「空気人形」の影響や2チャンネルでの予期せぬ取り上げられ方とか、ネットにおいてオリエント工業のプレゼンスが高まってきた流れがわかって興味深いのですが、インタビューおよび出版の時期からも元ネタでない事は明白です。

南極1号伝説―ダッチワイフの戦後史 (文春文庫) , 2009/8/4

単行本が2008年4月に出版されており、最初はこれが本命だと思ってました。
ラブドール自体を調べたかったのでは無いけど、読み始めたら止まりません。文化史であり、技術史であり、どのような分野であっても変わらない生き残ってきた「老舗」の強さを思い知らされます。他にも、製作の苦労話や新興メーカ・ユーザの年代から見た世代的な考察とか、発刊当時に話題になった(らしい)のもわかります。題材が何であれ、もの作りに関心がある人であれば興味深く読めるのではないでしょうか。
ちなみに自分は、メカにときめくので、人形の骨格が見えるスケルトンモデルとかあったら面白そう、とかそんな感想です。
コピペに関係しそうなのは、文庫版のあとがきとして「オリエント工業の取材でも、死んだ妻の面影をラブドールで再現しようとした顧客が話題に上った」と書かれているくらいで、残念ながら直接のネタ元では無かったようだけど、読んで良かった。

あやしい取材に逝ってきました。2009/08

ルポ漫画?で、色々な取材ルポをまとめて一冊にしてあります。ここでの情報としては、「むかしはオーダーやってたが、高価になるのと、明らかに犯罪臭がある客とかくるので止めた」というところでしょうか。
ここまで調べてて、ほんとに今はオーダーやってないのかな?と思っていたので、やはりなあ、というところです。あと、「南極1号伝説」から時間が経っている分、情報が新しくなっているようですね。

お姉さまの逆襲, 2006/7

これまたルポ漫画だけど、1994年から掲載誌を変えて今も続いているという長寿連載です。(この漫画は今回初めて知ったけど、こんな長期連載は異例ですよね、多分)
2巻に収録されている「第55回 100パーセント化学合成のお姉さま」は2000年の初めに雑誌に載ったもので、以下の記述があります。(この頃はオーダーやってたわけですね)

オーダーメイドとは?
文字通りオリジナルのダッチワイフを注文するシステム。制作日数1ヶ月、費用60万円と決して安くない買い物だが。。。
「注文が殺到して注文が追いつかない状態なんですよ」
「へー、そ・・・それは、どのように注文すればいいんですか?」
「モデルの女性に直接来ていただいて顔の原型をとってもらいます」
「えっー!!」
「・・・が無理な場合は写真でもけっこうです。あっ隠し撮りはダメですよ」
「いや・・・前にもあったんですよ、隠し撮り・・・メチャクチャやばそうだったので断りましたけど」
(犯罪につながる行為は御法度だ)
「でも注文があるということは実際にモデルになる女性がいるんですよね?」
「・・・ていうより・・・亡くなった奥さんの写真を持ってこられる方が多いですよね」
(けっこう切実だ)
「モデルは架空の人物でもいいんですか?」
「そういう場合は、イラストを持って来てくださいね」

原型の文章に近いですね。最初にBeam comixで単行本2巻が刊行されたのが 2001/08のようなので、時期的にも辻褄があいます。これが元ネタなのでしょうか?微妙に文章が違うので今ひとつ確信が持てないんですよね。。。

3巻には「第80回 動かず汚れぬおねーさま?」が収録されていて、これは友人夫妻のラブドールを観に行く話です。いや「夫妻」です。色んな人達がいますね。。。

風俗の人たち (ちくま文庫) , 1999/10

永沢光雄さんの傑作ルポ集*1ラブドールに関する取材は、1990年10月に行われていて(もちろんオリエント工業)、表題は「ダッチワイフ」となっています。まだシリコンによる製品が作られてなく、ラブドールの名称も無かった頃の話です。ここでは、その後の取材では「S医師」として紹介される初期の開発・アドバイザーの名前と具体的な活動内容が出てきます。
この頃はオーダーメイドはまだやってなかったようですが、当初のメイン顧客(今も一定の需要があるらしいけど)であった身障者の方の話など、関わっている人達の情熱の一端に触れる事が出来ます。

調査の後で

結局、そのものズバリの元ネタは見つけられませんでした。原型に近いモノはあったので、そこから投稿者が編集したのかもしれませんし、そうでないかもしれません。
この手の風俗モノの場合、雑誌の小記事として掲載され、その後単行本化も何もなしにそのまま、というケースも十分考えられます。オリエント工業の場合(というか多分そうだと思いますが)、オーダーメイドをおこなっていたのも過去の事のようですし、もう元ネタそのものを探すのは難しいのかもしれません。

それでまあ、残念は残念なのですが、ここ2週間ほど色々と探したり読んだりして、ラブドール以外の話も含めて知る事ができ、結構満足してます。というか、何で自分があのコピペに惹かれたのかが自覚できたんですよね。多分、私はホンのちょっとのきっかけで人形を注文する側の人間になります。亡くしたものを形だけでもとどめようとする試み。それで、そうなるかもしれない自分の姿を見てみたかったんですよ。じゃあ、実際に覗いてみてどうだったか?というと、私はおそらく今の技術の延長線上では人形は作らないでしょう。良くできていても本人ではないわけで、脳内補完しきれず、そのギャップに余計に悲しさが募るような気がします。想い出は心の中に。
それでも、というか、それだからこそ、亡き人の姿をとどめる試みをせざるを得なかった人達の心境には静かな共感をおぼえるのです。

*1:この本に出会えたのが今回の最大の収穫です。面白うてやがて悲しき、という書き出しで紹介したいこの連載がエロ本に掲載されていた事に、驚きと納得があるのです。

重複順列問題を解く

高校数学復習の機会

子供に復習させるとかではなく、自分の話。実際の話、中学受験は難しいと言われるけど、実際に自分で問題を見てみるまではわからなかったんですね。特に「算数」なんかは甘く見ていたのですが、意外と難しい。中学・高校レベルの数学で出てくるような問題もあるし、おまけに、自分が色々と忘れていたり(理解が適当だった証拠で)して、参考書を見直したりして、どっちが勉強しているんだかわからなかったりします。
でも、こういう機会を得たのもありがたい事だと思って取り組んでみると、結構おもしろいんですよね。あまり真面目な学生ではなかった過去の自分に、もったいないよ、と言ってやりたい。

場合の数が出てこない

中学受験では場合の数の問題は普通に出てきますが、確率とかも学生時代に適当にやったものの一つでしたから、解き方がわかっても用語とかが曖昧だったりして先日もあわてて参考書を見直しました。

家族5人で食事に行きました。そのレストランにはメニューが4種類あります。1人が注文するのはメニューの中から1種類だけです。
家族全体の注文の仕方は全部で何種類あるでしょうか?

こういう問題の答えが「4の5乗」であることはすぐわかるのですが、こういう場合の数を何と言ったけ?というのが出てこない。調べてやっと「重複順列」だと思い出す始末で、何というかダメダメです。

順列をつくるとき、いくつかの要素を落として使わないこと(omission; 省略)やいくつかの要素を何度も使うこと(duplication, repetition; 重複)ができるが、取り出す要素に重複を許す順列を重複順列(ちょうふくじゅんれつ、repeated permutation)と呼んで特に区別する場合がある。

順列 - Wikipedia

調べたものは解いておく

調べたうえで気分がのればコードも書くと忘れないですね。以前も書きましたけど、総当たり的な処理はコンピュータの得意技ですよね。

# coding: utf-8
"""
重複順列 - repeated permutation
指定されたパラメータで重複順列を作成し、その結果を返す。
"""

def repeat_perm(items, nrept):
    """
    重複順列ジェネレータ版.
    最後まで行ったところで空リストを返し、戻る際に順番に追加していく。
      $param items 選択可能な要素リスト
      $param nrept 選択する数
      $return 重複順列を1つずつ返す。
    """
    if (not items) or (nrept < 0):
        raise ValueError('Invalid arguments %s * %d' % (items, nrept))

    if nrept == 0:
        yield []
    else:
        # 全ての選択可能な要素について処理する
        for i in items:
            # repeat_perm()自身がジェネレータなので、再帰的に
            # 終端から戻ってくる値をさらに呼び出し元に戻す。
            for gen in repeat_perm(items, (nrept - 1)):
                yield [i] + gen

def repeat_perm2(items, nrept, res=[]):
    """
    重複順列ジェネレータ版.
    省略可能引数に結果を積み上げていくやりかた。(わかりにくいかな)
      $param items 選択可能な要素リスト
      $param nrept 選択する数
      $param res   生成中の順列を保持するためのリスト
      $return 重複順列を1つずつ返す。
    """
    if (not items) or (nrept < 0):
        raise ValueError('Invalid arguments %s * %d' % (items, nrept))

    if nrept == 0:
        yield tuple(res)
    else:
        # 全ての選択可能な要素について処理する
        for i in items:
            # repeat_perm()自身がジェネレータなので、再帰的に
            # 終端から戻ってくる値をさらに呼び出し元に戻す。
            for gen in repeat_perm2(items, (nrept - 1), (res + [i])):
                yield gen

##############################################################

if __name__ == "__main__":
    #PTRN = range(2)
    PTRN = ('apple', 'orange')
    SLCT = 3
    # print tuple(repeat_perm2(PTRN, SLCT))
    for x in repeat_perm(PTRN, SLCT):
        print x

実行した結果は以下のとおり。

bash-3.2$ python ./rperm.py 
['apple', 'apple', 'apple']
['apple', 'apple', 'orange']
['apple', 'orange', 'apple']
['apple', 'orange', 'orange']
['orange', 'apple', 'apple']
['orange', 'apple', 'orange']
['orange', 'orange', 'apple']
['orange', 'orange', 'orange']

ちゃんと動いているようです。こういう、ちょっとした気晴らしプログラミングは良いですね。

影丸穣也氏の「ボクの1971」

「空手バカ一代」の作画、影丸穣也氏が死去というニュースを見て、もう一ヶ月前に亡くなられているのを知った。

自分にとっての影丸穣也といえば、空手バカ一代であり、中学時代に読んで燃えたものである。あの頃の男子中学生にとってのマストだったと思う。
「コミック1971 VOL.2*1」には、作者が1968年に週刊少年マガジンに描き始めた頃からのエピソードをまとめた「ボクの1971 昭和46年」という作品が掲載されているのだが、それを読むと(おそらく)一般に知られているよりも大きな功績を残されているのがわかる。

  • 日本の漫画で初めてのグラビア印刷をした”白鯨”(なんと構成は梶原一騎、この時は一面識もなかったらしい)
  • このコミカライズをきっかけにNHKがドラマ化をし、やがて角川によるブームをまきおこした”八つ墓村
  • 先頃亡くなった「豪放磊落ながら気持ちのやさしい繊細な人物」真樹日佐夫とのコンビで長期間続いた”ワル”

他にも、3億円強奪事件の際は、(若いアシスタント数人が昼夜を問わず出入りしているという事で)怪しまれ刑事が訪ねてきた、とかのエピソードもあってなかなか興味深いのだが、空手バカ一代についても、熱のこもった背景の上に「まさかバトンタッチして描く事になるとは思わなかったが、この作品によって多くの若者が空手道を進んで今につながっている事はボク的には本当にうれしい限りである」と書かれている。やはり、作者の思い入れもあって、あの作品は我々ボンクラ中学生を強く捉えたんだろうと思う。熱かったんですよ、とにかく。
時を21世紀にうつすと、作者が内輪向けに遊びで描かれたドラクエのイラストを拝見する機会があって、通常と全く違うタッチ、素人目には鳥山明なタッチで描かれたモンスターに驚愕したりもした。さすが、これだけの長期間にわたって前線に立ち続けるプロは違う、基礎があったうえでの強烈な個性だなあ、と。

前述の作品の最後には、以下のような文が書かれている。

現在−(二十一世紀)
原作者 梶原一騎
モデルの大山倍達総裁
同じくケンカ十段 芦原英幸
空手バカ一代”で活躍をされた偉大な三人がすでに物故されており本当にさびしい気持ちである

そして、続けて作者の似顔絵に以下のふきだしがある。

しぶとく生き残っているのはボクだけか
この分だと八〇〜九〇まで生きるかも...
なんちゃって!

来年は漫(劇)画道55年目だった作者のご冥福をお祈りします。


*1:週刊アサヒ芸能1月24日号増刊,徳間書店,2003年1月24日発行

死せる王女のための孔雀舞[佐藤史生]

本当は作者の三回忌にあわせて4/4に何か書こうと思ったのだけど、思い入れが強すぎて高校生の頃の話など書き出したらあまりにも酷い出来となったため、止めておいた。その際にWEBで探していて見つけたのが、「死せる王女のための孔雀舞」の復刊のニュース。Amazonの商品ページも確認、まさか2012年に佐藤史生の「新刊」が読めるとは。

新書館版との比較

やはり新刊の本というのは良い。真っ白な紙面にほのかな印刷のにおい。手に取ったときに自分でも驚くくらい嬉しさがこみ上げて、読むことすらもったいない感覚。やっぱり冷静ではいられない。
内容についてはあちこちのサイトにあるようなので、外観の方を新書館版と比べてみる。判型は同じだけどデザインの違いから落ち着いた印象がある。

「一角獣にほほえみを」「マは魔法のマ」の2作品が増えている事以外にも、紙質の違いがあるのか厚さも違う。

あと、帯の方も。


佐藤史生コレクション、刊行開始」の大文字に期待がふくらむ。いや、この手の煽り文句には何度もだまされているので、眉に唾つけるけど、実現すればこんな嬉しい事はない。何せ、手元にある本は既に30年近くたっていて紙も黄ばんでおり、「やどり木」などは背中が痛んで下手するとバラけそうなのだ。

救う人

夢見る惑星の主人公もそうだけど、七生子は他人をそして自分を救う人だ。最初は自我をもてあますけど、幾ばくかの才能と自意識と周りとの関わりの結果、自分と向かい合い、受け止め、そういうかたちで立つことになる。作中の人々はもちろん、読者もその過程を追う事で救われる物語。諸井先生との別れの場面は、佐藤史生作品の中でも屈指の名場面だと思う。
正直言えば、いま読んでもかつてのような気持ちにはなれないだろうと思っていたのだが、この場面を読むと一瞬で最初に読んだときの感覚(高校生!)に戻ったような気になる。(逆に言えば、私はまだ持てあましているのかもしれない。この年でなあ。)

今回思った事とか

あらためて読んでみると、森脇真末味ブルームーンを連想した。あちらの方は双子だから、七生子とは異なる形で自立していくし、救う人になれたとは思えないが、全体的な読後感は似ている。(実際はまったく違う作品なんですけどね。これはまったく個人的な感覚です)
作者同士の交流もあったようで、文庫版のワン・ゼロ3巻には森脇真末味の解説がある。(いま読むと、そのゆったりとした関係がもう無い事に泣かせられる) ワン・ゼロのラストでは「かつての面影の無い主人公」の写真が出てきて、一つの物語の終わりを告げるが、これは、ブルームーンと同じ構成だ。二人の交流が生み出した一つの形なのかもしれない。(ちなみに、初出はたぶんワン・ゼロの方が先だと思う)

作品での接点は見られなくても、色んな人たちが佐藤史生の想い出(本書の増山法恵さんによる解説でも出てくる)を語ったりしている。今となっては、読者に出来るのは、それらのパーツを拾い集めて色々な組み合わせを楽しむ事くらいだ。「佐藤史生コレクション」が続けば、そのようなパーツも増えるだろう。本当に期待している。

フェルメール 光の王国展

先日、フェルメール 光の王国展を観に行ってきました。

こんな感じで想定よりは混んでいたんですが、気になったところに戻って見直すとかは問題なくできる範囲でしたから、落ち着いて鑑賞できたと言っても良いかと。これが本物の展示だったら、ひたすら流れにのっていくだけでしょうからね。

正直言えば、「re-create」と言っても「複製」だよね?という思いはあったのですが、少し離れてみると本物の油絵との違いはわからない(まあ私の鑑賞眼がその程度ということもありますが、デキも良い)ですし、年代順に一気に観ていくと一つの物語を読んでいるようで、これはなかなか良い企画だなあと感心しました。実際、フェルメールの作品は構図や部屋、小道具に共通する点が多いので、一同に揃えてから行ったり来たりして鑑賞するというのは、理にかなっていると思います。そして、通してみると1658〜1660頃、特に「牛乳を注ぐ女」が印象に残りました。鮮やかな瑠璃と光のバランス、動きの中の一瞬。作家が自分を確かに掴んだ絵というのは、やはり良いもんだなあと。
あと、この展覧会では音声案内がiPhoneアプリで販売されていて、会場で音声ガイド(iPod nano)を借りるよりもはるかに安く、かつ使いやすくなっていますので、iPhoneを持っている場合は事前に買っていった方が良いかと思います。ガイドを聞きながらのんびり鑑賞して全体で1時間半くらいでしょうか。久々に、しっかりと絵を観た、休日でした。

芸人コラアゲンはいごうまん

ちょっと前の話ですが、カタログハウスの学校で、「コラアゲンはいごうまんの爆笑!体験ノンフィクション漫談」に行ってきました。本人曰く「アウェイかと思ったらめっちゃあったかいお客さんやった」そうだけど、こっちの方こそ「どんなもんかと思ったら、めっちゃ楽しい時間を過ごせた」という感じ。

冒頭で話者自ら「どんどん撮影して!」と宣言したので、皆思い思いに写真撮影したりして、自由でリラックスした雰囲気だったのもよかったですね。(危なめな内容はネットに流さないで、とかはありましたけど)
こっちの写真は、会場での販売もあった(格安!)厚紙補聴器の紹介。(よくこんなの見つけてくるもんです)

こっちが石巻 渡波小学校への訪問の時の一コマ(一部加工)。江頭2:50さんとかもそうですが、芸人さんは個人レベルでフットワーク軽く復旧への手助けをおこなっている印象があります。ここで出会ったおばあさんから聞く「ネタ」は凄みがありました。背中がゾクッと。

個人的な好みとしては、話がややくどくて、もう少しペースを上げてもらった方が良いのだけど、客層とかを見て加減(お年寄りとかも多かったので)していたのかもしれません。アンコールまであって盛り上がったので、きっと正解だったんだと思います。
普段、お笑いとか見に行くことは無いんで他がどうかは知らないけど、「悲劇は喜劇になる」「ネタがなければ体験しろ」等など、芸歴24年、続けていくというのはこういうことかと。40歳超えてパワフルで腰が低くて、そして、決してあきらめない情念のようなものが伝わってきて「これでも売れないのか」という驚きと「この芸風だと一般向けではないのかもしれないし、毎週何か新しいのを披露するのも大変そう」という複雑な感想も。

まあ、何はともあれ一見にしかずですから、この一覧からどれか観てみると良いと思います。
カタログハウスの時は別のネタをやってくれましたし、ライブの方が楽しめるタイプだと思うので、気になったら一度見に行くと良いかと。

RHEL6 シリアルコンソール設定とupstartイベント

SysVinit から upstart

RHEL6では init system が SysVinit から upstart に変わって、upstart なんか弄ったことが無かったので最初はおっかなびっくりだったんだけど、runlevel変更(設定)時のサービス実行については基本的に同じで、各種デーモンのrcスクリプトもそのまま使えたので一安心。(まあRHEL6が出てからずいぶん経つので、今頃いろいろ悩むのも遅れているわけだけど)
ただ、/etc/inittab は大きく変わっていて、これまでの設定は基本的に /etc/init/*.conf のジョブ定義ファイルにバラされて、そこに設定するようになっている。こっちの方が本命で、できれば全てのサービス起動・終了をconfファイルで記述してイベントベースにしたいんだろうけど、いきなりそれは無理なので、こんな構成になっている模様。
なので、現時点ではシステム起動時間の短縮とかも限定的な感じ。

シリアルコンソール設定も inittab から confファイルに移ってて、しかも、シリアルコンソールがプライマリのシステムコンソールになる場合は特別な設定も必要ない。まあ、シリアルをプライマリのコンソールにするための設定(grub)は必要なわけだけど。
それで、プライマリになっていない場合の対処をどうするかで、ちょこっと調査してみたので記録しておく。

シリアルコンソール設定の基本

シリアルコンソール立ち上げのジョブは、/etc/init/serial.conf であって、そこには以下のように記述してある。

# Automatically start a configured serial console
#
# How this works:
#
# On boot, a udev helper examines /dev/console. If a serial console is the
# primary console (last console on the commandline in grub), the event
# 'fedora.serial-console-available ' is emitted, which
# triggers this script. It waits for the runlevel to finish, ensures
# the proper port is in /etc/securetty, and starts the getty.
#
# If your serial console is not the primary console, or you want a getty
# on serial even if it's not the console, create your own event by copying
# /etc/init/tty.conf, and changing the getty line in that file.

start on fedora.serial-console-available DEV=* and stopped rc RUNLEVEL=[2345]
stop on runlevel [S016]

instance $DEV
respawn
pre-start exec /sbin/securetty $DEV
exec /sbin/agetty /dev/$DEV $SPEED vt100-nav

つまりは、自動でシリアルコンソールが起動するのは fedora.serial-console-available イベントが emit されたときで、通常は grub の記述で決まると。そして、シリアルコンソールがプライマリのシステムコンソールになっていれば、このイベントが発生する模様。
一方、プライマリでない(これは例えば /dev/console と /dev/ttyS0 が同じでない)場合は、上記のイベントが飛ばないので /etc/init/tty.conf 等を元にして対応するジョブを作成し起動用のイベントを決めろ、と。

RHEL6移行計画ガイドの説明

RHEL6移行計画ガイド - 4.2. サービスの初期化によると、以下のような方法を説明してある。

デフォルト以外のシリアルコンソールで実行している getty を設定するには、 /etc/inittab を編集するのではなく、 Upstart ジョブを記述する必要があります。 例えば、 ttyS1 上の getty を設定したい場合は、 以下のようなジョブファイル (/etc/init/serial-ttyS1.conf) になるでしょう。

          • -

# This service maintains a getty on /dev/ttyS1.

start on stopped rc RUNLEVEL=[2345]
stop on starting runlevel [016]

respawn
exec /sbin/agetty /dev/ttyS1 115200 vt100-nav

          • -

runlevel-2345の設定処理が完了(rcジョブが終了)したら、agetty を立ち上げるというシンプルなもの。確かにこれでうまくいく。終了。

他の手段

RHELのドキュメントに書いてあるようにやればよかったんだけど、以下のような方法も(試してないけど)いけそうな気がする。

  1. fedora.serial-console-availableイベントを発行する新規ジョブを定義するか、既存のstart-ttys.confの末尾に追加する
    • initctl emit fedora.serial-console-available DEV=ttyS1 SPEED=....
  2. serialジョブを実行する新規ジョブを定義するか、既存のstart-ttys.confの末尾に追加する
    • initctl start serial DEV=ttyS1 SPEED=....

両方とも、既存のserialジョブを生かして利用する方向で考えたんだけど、正直あまり意味は無いし、start-ttys.conf に追加する場合は既存のジョブ定義を変更するので筋が悪いんでやらないけど、まあ、何か上手くハマル場合もあるかもしれない。

fedora.serial-console-availableイベントは誰が発行するのか?

肝心の、このイベントを誰が発行しているのかが気になったんで見てみる。
serial.conf の上記引用中に udev についての記述があったので、udev設定辺りを見てみると、/lib/udev/rules.d/10-console.rules とかいうルールファイルがあって、その中で console_init とか console_check コマンドを使っているようなので、なんかそれっぽい。このファイルは rpm -qf で調べると initscripts パッケージに入っている。このパッケージには /etc/init 下のほとんどのジョブ定義ファイル(serial.confとか)も入っているので、ちゃんと見てみることにする。

早速src.rpmを取得して、ソースを展開した後の構成と関連するファイルは以下のようになっている。

initscripts-9.03.27
   /init
      serial.conf
      tty.conf
      .....
   /src
      console_check.c
      .....
   /udev/rules.d/10-console.rules

そして、先ほどあった console_check に対応する console_check.c を読むと、所定の条件チェックを行った後で、/sbin/initctl を呼び出し、fedora.serial-console-available イベントを emit するコードがしっかり書かれていた。
条件は幾つかあって、多くの場合は合致するのだろうが、プライマリでなかったり、仮想コンソールのような場合は合致しないのでイベントが飛ばず、上述のような対応が必要となる、ということのようだ。すっきり。

思っていたより時間を使ってしまった

わかってしまえば単純だけど、設定作業の最初は戸惑うばかりだった。幸い、RHEL6が出てから時間が経っているので、既に先達が書かれた情報もあり助かったけど、やっぱり初めてのソフトの設定は面倒だわ。時間に迫られている時にやるとしんどい。